「教えない」を忘れない。 |
「先生」という仕事に職業病があるとすれば、一番やっかいなのが、「教えたがり」なことだと思います。生徒の「わかった!」という反応を見ると、つい嬉しくなって、ここぞとばかりにあれもこれも教えたくなったり、「どうしてだろう?」という疑問ももっていないのに「なぜかというと…」と説明したり。。。
吸収する準備ができていない生徒にあれこれ教えるのは、お弁当用の小さなたれびんの口にソースを一気に注ぎ入れようとするようなもの(笑)?それどころか、ちょっと長い目で見ると、せっかく生徒が自分で気づくチャンスを奪い、自力で学ぶ基礎体力もをも奪っていることにもなりかねない。それでも、つい教えずにはいられない、それが先生。かつては私も「覚えなさい」光線、出しっ放しだったような気がします。
でも、BBメソッドでは、「教えない」「説明しない」ように気をつけています。その代わり、生徒が「自分で気づく」ように導き、「とにかく言える」という自信をつけさせ、「もっと英語ができるようになりたい」と思ってもらえるように達成感を味合わせてあげる、むしろ、そういうことでがんばっています。
特に年齢が小さかったり、経験が足りないうちは、とにかく64のOSに慣れ親しむこと。そして、おまじない(何のことかはお子さんに聞いてみてください)や、ごく簡単な書き換え文を繰り返し口にすることに徹しています。それを飽きずに繰り返してもらうためにゲームがあるのです。そして、「ゲームに勝った!」という喜びに加えて、徐々に「言えた!」「できた!」という喜びも知ってもらう、それで十分だと思います。
自信さえつけば、年齢が上がり、経験が増えるにつれ、難しいことが入ってきても、意欲をもって取り組む気持ちが生まれていくと思うのです。
ただ、「気づく」ということに関しては、どうしても個人差があります。これは当たり前のことですが、二人いれば、差は発生します。同じことに気づいても、「わかったぁ〜〜〜〜!」と大興奮する子もいれば、それを聞いて「それならわかってた」と思う子もいます。中には、気づいていても「気づく」ということが実感できていない子もいるかもしれませんし、まだその波が来ていない子もいます。でもそれは、気づき方やタイミングが違うだけ。私にできるのは、一人一人を観察しながら、真剣に遊ぶこと。その子、その子の「あ、そっか!」のチャンスを奪わないこと。そして、例え小さな「気づき」にも心からガッツポーズを贈ること、かな。
それから、ここが大事!そのことを保護者の方にきちんとわかっておいていただきたい のです。なぜなら、今書いたことがうまくいくためには、私と子供達との信頼関係はもちろん、私と保護者の方々との信頼関係もとても大事だと思うからです。そうでなければ、今日も明日も、私と子供達が安心してひたすら遊びまくることができなくなりますから(笑)。
「Magical通信」vol. 97 (2008年6月号)より
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このエッセイを書くまでの半年ほど、実は、どうしたらよいかわからずにもがいていました。
途中入会の2人の女の子が、1年ちょっといた後でやめていったのは、このエッセイを書いた直後でした。
当時2人は小学校6年生。実際にはいろいろなことができるようになっていたのに、ちっとも楽しそうでありませんでした。
2人の保護者の方たちとは何度も連絡はとっていましたが、「娘が授業がわからないと言っているので、家で文法を教えました」と言われました。
BBメソッドがわかってもらえていないことに落胆し、何とかしたいと必死でした。
このエッセイにも、その「必死さ」が現れていますね。
でも、その子たちがやめた本当の原因は、その子達を不安にさせてしまった私自身にあったのです。
その時やっと気づきました。
私は、自分では楽しく遊んでいるつもりでいましたが、心から遊んではいなかったのかもしれない、と。 【魚住】