新・信頼関係 |
2年前のエッセイのトーンは、「辛いことがあっても、信頼できる先生や仲間と一緒なら乗り越えられる」「そうすれば知的好奇心を高め合い、他人と比べずに自分自身の進歩を喜べる」「そのためには信頼関係が大切」というような感じで、あくまでも「上へ上へ」という気持ちが現れていました。読み返してみて、今、同じ「信頼関係」というタイトルで書くとしたら、少し内容が変わってくるかもしれない…と、感じたのです。
実はここ2年くらい、マジカルに新しく入会していただく前の体験レッスンで、必ずしていることが2つあります。1つは、保護者の方にお子さんと一緒にゲームを楽しんでもらうこと。2つ目は、よ~く検討してから入会を決めてほしいとお願いすることです。うちでは単語を覚えることから始めるわけでも、アルファベットの練習から始める訳でもなく、また「全体から個へ」「教えない」など、ユニークなBBのメソッドで授業を進めているということを説明します。そして(学年にもよりますが)2~3年は遊んでいるだけかもしれませんが、見守って、ほめて、待ってほしい、ということをお願いします。それをわかっていただけなければ、BBメソッドは破綻することもあり得るからです。
「信頼関係」という言葉は、私と子ども達、または子ども達どうしの関係の他に、今では明らかに、私と保護者の皆さん、そして、お子さんに対する保護者の皆さんの「ほめて待つ」という関係も指しています。
そして、もう1つ、エッセイの内容が変わるかもしれないと思った大きな理由があります。かつての「上へ上へ」という目線が、今では… 「満ちてあふれるまで待つ」というか、「コアから膨張していくのを待つ」というか…、私自身のスタンスが少し変わってきていると感じているのです。
「上へ」行くための信頼関係というのはどういうことかと言うと、言い換えがたくさんできて、気づきがたくさんあることが良いことであり、そのためにはもやもやを乗り越えなければならないので、信頼関係は大切だ!という感覚でした。今は、少々極端なことを言うと、言い換えも大事ですが、先ずは64のOS(=基本のセンテンス)+フレーズという宝物が少しでも長期記憶として残るように心を解放してあげたいと思っています。言い換えをするとしても、それはOSの構造が見えやすくするために、あっちから見たりこっちから見たり、ちょっと分解してまた元に戻したりするようなもの。基本はあくまでもOSがしみ込むことを一番大切にしていきたいのです。それに、言い換えや合体作文がどんなものかを見せておけば、いずれOSに飽き足らなくなって来た子が自ら世界を広げていこうとする時にヒントになるはずです。その時初めて、本当の意味の「気づき」があり、一つ気づくたびにもやもやが消える。消えて初めて「今までもやもやしていたんだ」と思う。それくらいでいいと思うようになりました。
そう、飛び立つタイミングは一人一人違うんです。私がしなければならないのは、あれこれ教えて巣から追い立てることではありません。まして、全員を同じタイミングで飛び立たせることでもありません。お腹いっぱいOSを詰め込んだ子達が、その子のタイミングで勝手に飛び立とうとする時にそっとお尻を押してあげることだと思うようになりました。
それまで、OSを何百回、何千回と言いながら遊び、ほめ、待つ。それが、「新・信頼関係」… かな ^^
「Magical通信」vol. 117 (2010年8-9月号)より
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前回の投稿(2014.3.18)の「信頼関係」は2008年の夏、今回の「新・信頼関係」は2010年の夏に書いたものです。
私は、あの子たちが去っていった後、ずっとずっと「遊ぶ」って何だろうと考えていたんだろうと思います。
表面的に遊ぶのは簡単です。飽きさせずに遊ぶことも、面白おかしいおしゃべりも、私にとっては難しいことではありませんでした。
でも、「遊ぶ」というのはそういうことじゃない・・・ということも、薄々わかってきていました。
あの子たちにかけた言葉が、頭の中でぐるぐると巡っていました。
「そのうちわかるから大丈夫」は、裏返せば「あなたはまだわかっていないのね」ということ。
「楽しく遊びましょう」と言われても、楽しくないものは楽しくないに決まっています。
そうか!私の心が遊んでいないから、そういう言葉が出たんだ。
本当の「信頼関係」は、先生が心を遊ばせることで築かれるものなんだ。
それに気づくまで、ずいぶんかかってしまいました。【魚住】