歩き始める。何かが始まる。 |
自分が本当にやりたいことは何だろう?好きなこと、得意なことは何だろう?
何に向かっていけばいいんだろう?
中学生にもなると、そんなことをふと思うこともあるでしょう。まして、高校生になると、目指すものが無いことが不安になったり、自分を突き動かすもの見あたらないことに焦り出したりすることもあるでしょう。自分が世の中のことを何も知らないことに愕然としたり、これといってアピールできるものが無くて後悔することもあるでしょう。
でも、そんな気持ちは、自分を客観的に見つめることができている証拠だとも言えるし、もしかしたら、これからいろいろなものに出会っていけるチャンスを、今まさに掴んだのかもしれません。
私自身、高校生の頃は部活や友達との会話が楽しくて、将来のことなど全くと言っていいほど考えていませんでした。だからこそ、とりあえず大学に行こうという選択をしたような気がします。
その選択が、正解だったのか、間違っていたのか、そんなことは私自身にもわかりませんし、そもそもそんな単純な答えの出ることではありません。もしどこかで違う選択をしていたとしても、どちらが良かったのかなんて、わからないですよね。良かったかどうか、の判断に意味があるのかすらわからない。自分がポジティブだったか、ネガティブだったかでも、捉え方は全く違ってくるでしょうし、またその先の枝分かれのしかたも変わってくるでしょう。
自分がどんな風に感じ、どうやって道を選択し、どんな決断をし、その後どんな努力をし、どんな人と出会い、どう成長したり変わったりしてきたのか・・・。この年齢になると、正しかったかどうかよりも、その過程すべてが人生の醍醐味なのではないかと思ってしまいます(笑)。
よく昔から「どんなに数学勉強したって一生こんなもの使わないのに、どうして勉強しなくちゃいけないの?」というフレーズを聞きますよね(笑)。もし聞かれたらどう答えますか. . . ?
友達に聞かれたら?親の立場なら?教職についている方なら、生徒さんにどう答えますか?ぜひご意見をお聞きしたいところです。もちろん、いろいろな意見があっていいと思います。数学に限ったことではなく、もちろん「教科」としての英語でも同じことが言えると思いますが。
私自身は、ボーッとした子だったので疑問に思わなかっただけのような気もしますが、強いて言うなら、はっきりと描く夢がなかったからだと思います。何もなかったから、もしかしたらこの先開けるかもしれない道を断ち切らないために、大学に行くことにした。まだ自分の知らない「自分」と出会う可能性を否定しないために、やれるだけのことをやろうと決めた。で、その大学受験に必要だった、それだけのことです。
逆にやりたいことがはっきりしていたら、また違った選択があったかもしれません。
やりたいことがある子は、それに向かってとことん努力すればいい。
好きなことがある子は、それをずっと楽しむためにどうすればいいかアンテナをしっかり張ればいい。
今何も見えない子は、まだ見ぬ可能性を信じて今自分の目の前にあることを最大限がんばればいい。続ければ、きっとそこからまた新しい何かが始まります。どうかポジティブな気持ちで、もう一度歩き始めてください。道を歩く時と同じです。目を上げて先を見るのと同じくらい、自分の足下を見ることも大事なのです。
「Magical通信」vol. 123 (2011年5月号)より
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【魚住】