英語は、コミュニケーションの道具・・・? |
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英語と言えば「英会話」と考えるのが世の常。つまり、「英語でコミュニケーションができる」というポジティブなイメージが連想されます。買い物ができることから、おしゃべりができること、仕事で使えることまで、人によってイメージするものも様々でしょう。もしかしたら全部できてこそ「英語でコミュニケーションができる」ことだと思われているかもしれません。
よく「英語はコミュニケーションの道具に過ぎない」と言われます。私も、「英語を完璧にするという妄想を捨ててどんどん使おう」という姿勢には大賛成です。でも、英語ができればコミュニケーションが上手にできるとは限りませんし、英語ができなくてもコミュニケーションができることもありますよね。
「英語でコミュニケーションができる」というと、ポジティブなイメージ、颯爽とした明るくカッコいいイメージがありますよね。CMのフレーズや本のタイトルにも「・・・できますか?」「・・・言えますか?」「ネイティブなら・・・します」が溢れています。世の英会話ビジネスが一種の「恐怖商法」だということでしょう。日本人の多くが「英語=受験科目→何年やっても使えない」の苦い経験から、その反動で「英語=英会話=コミュニケーションの道具」への憧れを持っています。そこにつけこんで、心理的に煽ってくるのです。その結果、今の子ども達は「英語=受験科目」の変わらない現実と「英語=英会話=コミュニケーションの道具」の必要性の両方を、大人から同時に要求されてしまうことになりました。何とも気の毒ですね。
私は、日本人が英語が使えるようになるためには、英語が受験科目から無くなるべきだと思っていますが、とうぶんは無理でしょう。だったらどうするか。いっそ「英語=受験科目」とか「英語=英会話=コミュニケーションの道具」という呪縛から、子ども達を解放してあげたいと思っています。そのために、子ども達の中に「どんな方向にでも伸びていける英語の土台」を作っているのです。英語の語感を育て、準備する場を提供しています。
同時に、子ども達は生まれてからずっと、それぞれの家庭、学校、社会、様々な環境で多くのことを学び、成長しています。体も心も成長し、経験を積み、必要なことを学んでいます。その過程でいろいろなことが自然に融合していくこともあるでしょうし、また融合させる力もつけていきます。大人の役割も大きいですね。
子ども達の中で、英語力とコミュニケーション力が日々育っていきます。経験も必要、知識も必要です。それらのバランスが取れ、必要を感じ、場数を踏んで、その子らしい英語でその子らしいコミュニケーションができるようになってほしいです。本当の意味で「英語はコミュニケーションの道具」と実感してほしいと思います。
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2週間前のブログにアップしたのがMagical通信2005年8-9月号のエッセイでした。今回アップしたのはつい最近書いたものです。10年経っても、コミュニケーションに対する考え方が変わっていないことにはびっくりですが、でもホッとしています。
つい先日、札幌で北海道の先生たちの勉強会がありました。ここでも「コミュニケーションとは?」が話題になりました。会話のスキット練習や、外国人にあらかじめ準備した質問をするような活動をコミュニケーションとは呼べません。コミュニケーションのトレーニングにもなっていないと思います。
B.B.カードを使った授業では、子ども達にとって友達のように親しみのあるB.B.カードの単語を元にして、芋づる式に、自然な展開のインタラクションをします。先生にもそれなりの引き出しと覚悟と、そして何より遊び心が必要です。
【魚住】