BBっ子の頭の中 |
私、高1までは数学はキライではありませんでした。でも、今思うと、必要なことを覚えれば問題が解けるということに満足していただけで、数学そのものに興味があったわけでも、おもしろいと思っていたわけでもありませんでした。単に、やるべきことを暗記して詰め込んで、理解したと思い込んでいたようです。そして、息切れ、失速、前半調子にのって飛ばしたマラソンでリタイアしてバスで回収されたような感じでした。(マラソン未経験ですが、イメージです。)そして、それはどの科目も同じで、程度の差こそあれ、理科系も社会科系も大半のことは忘れてしまいました。要は、詰め込んだだけ、そして忘れただけ ^^;;
学校の勉強を否定している訳ではありません。数学なんて何に使うんだ?とか、そういう話でももちろんありません。自分は有効に使えていないだけで、有効に使っている人達のおかげで人類が発展しているのは確かなのでしょうから。幸い、私も、たとえ詰め込んだ中身は忘れても、頭の中の空間はそのまま残っていますし(笑)
それにしても、高校生の時にぎゅうぎゅう詰めにしたものは消えてしまっているのに、小学生の時に学んだことが生きているのはどうしてなのでしょう。1つには、小学校で学んだことが、基本中の基本だったということもあるでしょう。つまり、その後もずっと繰り返し使われているから生きている。
もう1つ、詰め込んだのではなく、頭の中を広げながら学んでいたから、というのがあると思うのです。見るもの聞くもの初めてのことだらけの小学生に、様々なことを上手に体験させてくれながら、実感させてくれながら、教えてくれていた。今でも鮮明に覚えているのですが、小2の時の先生が、「100mってどれくらい?測ってみよう!」と言って、学校の一番長い廊下を、クラスみんなで端からメジャーで測っていきました。反対の端まで行って90mくらいだったのですが、ちょうどそこから学校菜園に出られるドアがありました。そこで何と先生が「外靴持っておいで!」と言うのです。そこから、またみんなでメジャーを持ったまま外に出て、菜園の中を野菜を踏まないように一生懸命にもう10m進んで、菜園の真ん中で「ここが100mだ!」ということになって大笑いしました。今でも、私にとって100mという感覚は、あの時の長さです。小学校の勉強って、そういう「たくさんの1回目」に満ちていて、頭の中を広げながら進んでいったような気がするのです。
B.B.カードを使っていて思うのは、英語を「詰め込み」の勉強にしてはいけないということ。どんなに楽しくキッズ英語をやっていても「覚えなさい」オーラが出ていては「詰め込み」と変わらないと思います。だから残るものが少ない。MagicalのレッスンがB.B.カードだけで成り立つのは、そして、どの子の中にも英語の土台を作れるのは、子ども達が「頭の中を広げながら」学んでいるからだと思います。
私の仕事は、何かを覚えさせるのではなく、「感覚」を残してあげること。ですから、テンポも大事ですが、じっくりイメージづくりをすることも大切にしています。そして、BBだからそれができている、私はそう思っています。私にとっての「100m」のように。