元気な脳の作り方(2) |
ある日、教室に最初に来た小学校低学年の子が、嬉しそうにおもちゃを買ってもらった話をしてくれました。その子は「〇〇〇」とそのおもちゃの名前を言ってくれましたが、私は知らなかったので、「へ〜、それ、どんなおもちゃ?」と聞きました。その子は、説明しようとしましたがうまく表現できずにいました。そこで、質問して答えてもらうことで説明してもらおうとした瞬間、その子の口から思いもよらぬ言葉が飛び出しました。「〇〇〇って検索してみればわかると思うよ。」その時ちょうど、次の子が教室に入って来て、その会話は途切れてしまいましたが、私の驚きはしばらくの間後を引きました。
その子はおそらく、名前を聞いてもそのおもちゃがイメージできずに困っている私のことを思いやって、あれこれ説明するより早くて正確な「ネット検索」という方法を提案してくれたのだと思います。もし、私が食い下がっていろいろ質問すれば、もう少しがんばって教えてくれたような気もします。その子の性格から察するに、けして説明が面倒だった訳でも、難しくて放棄した訳でもないと思っています。
それでもその出来事は、「ネット検索」という方法が、良くも悪くも、子ども達の生活に大きな影響を与えているのだと実感させてくれました。インターネットは現代に生きる子ども達にとって必須アイテムであることは間違いないでしょう。そのメリットは無限だと思います。ただ、その手軽さに頼ってしまうことで、子ども達から「伝えよう」とするチャンスを奪っているような気もしてしまいます。大袈裟な!と思われるでしょうか?
誰かに何かを伝えるためには、「相手がわかるように工夫する努力」が必要です。ある先生が「コミュニケーション」とは「分かり合おうとすること」と表現していました。私の中では、今のところこれが「コミュニケーション」を最もシンプルで適格に言い当てている定義だと思っているのですが、そういう意味では、例えば「〇〇〇」について誰かにわかってほしければ、絵に描いて説明しても、ジェスチャーで説明しても、ネット検索して画像や動画で説明しても目的は果たせますから、コミュニケーションとしてはある程度成功していると言えます。でも、もし子ども達に英語でコミュニケーションができるようになってほしいと思うのであれば・・・?
言葉で何かを伝えるには、「イメージや考えを言語化する能力」が必要です。相手が求めていることをが何かを掴む想像力も、必要十分なポイントを押さえたり、順を追って論理的に説明できる力も必要です。小学生にそんなこと?という声が聞こえてきそうですね。でも、たとえどんなに拙い日本語ででも、ゆっくりじっくり言葉で説明するチャンスを作らなければ、その下地はいつまでたっても育たないことになりませんか?
子どもの能力は計り知れません。それを奪うのも育てるのも大人です。効率も正確さも大事ですが、時間や手間をかけなければ育たない力もあります。そして、それを子ども達と楽しむのも大人の責任だと思っています。