逆立ちしたら見えるかな?~今こそ逆転の発想を!~ |
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「できるが先、知るは後」
これは、B.B.メソッドでの合言葉です。入門期のレッスンでは、この合言葉に従ってまずは「できること(=言えること)を目標にしています。そして、そのために先生方には「教えないを忘れない」をお願いしています。これがもうひとつの合言葉でもあります。英語の授業なのに「教えない」ということに違和感をお感じの向きもいるかもしれませんが、これが非常に大事なことなのです。
「教えない」「教えてはいけない」理由は、言葉を身につけるプロセスを考えてのことです。「母語」についてのケースで考えてみましょう。日本語を母語にしている子ども達は、四六時中、あふれるほど大量の日本語に触れるという環境の中にいます。その中で、体験的に日本語を獲得していくのです。話している相手の表情や、身ぶり手ぶり、声の高低や響き、あるいはその場の状況が発する情報などを「こころ」や「からだ」の触れ合いを通して、つまり五感をフルに使うことで知らず知らずのうちに日本語を身につけます。決して最初から「日本語」として単独で「教えられて」覚えていくわけではありません。
こうして身につけた母語である日本語をごく当たり前に使っている子ども達に対して「文法説明」を求めたり「どうしてそう言うのか?」と尋ねる人はどこにもいません。十分に言葉を運用できているからです。例えば自己紹介で、「僕は太郎です。」と言う場面で「どうして『ボクは』なの?『ボクが』とか「ボクも」ではいけないの?」などと尋ねられることはないでしょう。
ところが、第二言語である「英語」については、そうはいかないのです。特に「教科」として英語を扱っている学校現場では顕著です。事細かに文法の説明を「教えられ」それを覚えて説明できることが言語能力があるかないかの判断材料になっているのではないでしょうか?これは、単に「知識」を覚えたかどうかを判断しているだけで、「英語ができる(運用できる)」ということとは、無関係のように思えますが。
B.B.メソッドでは、英語に「ついて」の知識の前に、母語のように運用できる(暗示的知識、つまり「説明できない形での知識」としての)英語を身につけることを入門期のねらいとしています。これが「できるが先」ということです。そして、この「できる」は言い換えると「語感(語彙感覚)」を身につけることであって、決して文法説明をする「知識」があるとか、大量の英単語を「知っている」ということではないのです。【難波】
注:英語教育UD研究会は、英語教育でのユニバーサルデザイン授業や指導について研究している団体です。リンクはこちら→英語教育UD研究会