目から鱗 (BB) |
残り10%の先生方は、使ってみたいけれどフランチャイズに属しているので、教材を生徒に買ってもらうわけにはゆかない。それでも中には自費で5~10セット程を教室用に購入される先生もいます。また、ご自身が静かに勉強するのが好きなので、子ども達にも勉強させたい。遊び自体が自分の性に合わないなど、しっかりご自分を分析されて、自分に適した使いやすい教材を探している先生は多いように思います。つまり、先生の語学学習観によって教材や指導法に求めるものが違うということですね。(その他詳しくはブログ140213「英語らしいリズムとイントネーションで英文が言える」をご覧ください。)
さて、話を戻して、「目から落ちた鱗」のその後なのですが、「何かと便利なB.B.カード」とか「困った時のB.B.カード」のように鱗は形を変えて徐々に再生されるもののようです。もしかすると最初から鱗は一つではなく、「先生方の言う鱗」と「私が勝手に思った鱗」とは別物だったのかもしれません。先生方は鱗が落ちて、「小学生でも英検3級レベルのセンテンスを導入できることを知って感動し」、私は先生方の目から鱗が落ちて「BBメソッドを理解してもらえた」と喜んでいたようです。
「目から鱗」の意味は、国語辞典によれば「目に付いて視力を妨げていた鱗が落ちる意。つまり急に物事がよく見え、理解することが出来るようになる」とあります。また、故事ことわざ辞典や語源由来辞典の注釈でも、「鱗で目をふさがれた状態のように、よく見えなかったものが、急にその鱗が落ちて鮮明に見えるようになったということ」とあり、『新約聖書』使徒行伝9:18にある「The scales fall from one's eyes.」という言葉に基づくとあります。
『キリスト教を迫害していたサウロの目が見えなくなったとき、イエス・キリストが弟子のアナニヤにサウロを助けるようにと指示しました。アナニヤがサウロの上に手を置くと、サウロは目が見えるようになり、このときサウロは「目から鱗のようなものが落ちた」と言っている。』つまりサウロは「目から鱗が落ちた」ことにより、今まで見えていなかった真実を知り、厳格なユダヤ教からキリスト教に改宗したということです。この表現は本当はとても重い表現のように思います。つまり、生まれてこの方、ずっと続けていた方法や信じていたことが実は間違いであったことが分かって、もっと素晴らしいやり方や知識を知った時に使うのが正しい使い方でしょうか?
家紋には丸の中に一つ鱗というのがありますが、普通、鱗と聞くと幾重にも重なっている状態を思い浮かべます。いくつ鱗が落ちたら「BBメソッド」が見えるようになるのでしょうか。考えると楽しくなります。【難波】