逆立したら見えるかな(34)~打ち明け話 |
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2018年 06月 25日
被害の軽微なことと速やかな復興を心よりお祈りいたします。 今回は、お詫びと少々尾籠(びろう)な話をいたします。あらかじめご了承ください。 まずは、お詫びから。 先般出版の電子書籍「なぜ子供は英語嫌いになるのか」において、私が最初に出会った英語が、「ジャック・アンド・ベティ」だと書きました。ところが、事実はそうではありませんでした。教科書Jack and Bettyが全国の中学校に採用されたのは、私が中学2年生だった1949年なのです。しかし、原稿を書いているときには、どう記憶を手繰っても何故か「ジャック・アンド・ベティ」の記憶しか出て来なかったのでそのままにいたしました。 事実と異なる記述をしてしまい申し訳ございませんでした。 一方、中学1年の時ドキドキしながら開いたはずの教科書が、どうして思い出せないのでしょう?とても不思議です。そのことが気になってずーっと考えていました。 すると「ハブ ユー ア シスター? (Have you a sister?)」と習った記憶と、それが途中で、「ドゥ ユー ハブ ア シスタ ー?(Do you have a sister?)」と変わったことを思い出しました。イギリス英語からアメリカ英語に途中で変わったというわけです。やっばり、私と英語の出会いはジャック・アンド・ベティが最初ではなかったのでしょうか。 (このことをスタッフに話したところ、すぐに戦後の英語の教科書について調べてくれました。その結果、ジャック・アンド・ベティも最初の頃は前年度まで使われていた教科書の流れで、Have you a sister?とイギリス英語を使っていたらしいということがわかりました。) いずれにせよ、私の最初の英語の教科書がジャック・アンド・ベティではなかったこと、結果的にイギリス英語からアメリカ英語に変わったこと、そして期待して手にしたはずの教科書の顔ともいうべき表紙も、中身の1ページすらいまだに思い出せないことだけが確かなのです。 当時、英語の時間はほとんどが自習でしたから、無理もないかとも思います。 しかも、戦後の食糧難の時代、田舎の中学生の自習時間は畑仕事をするのが常でした。国語であれ、英語であれ教科の「自習」ということではなかったのです。 そして、中学1年生に課せられた畑仕事はなんと畑に「こやし(糞尿)」をまくことでした。 まず、長~い柄のひしゃくで肥溜めから「こやし」を桶に汲み取ります。その桶を2人1組になって天秤棒で担いで畑まで運ぶのですが、背の低い私は、桶が揺れて中身がピチャピチャ言う音を聞きながら、跳ね返りはしないか、つるした桶の縄が切れはしないか、桶が背の低い私をめがけてずずずーっと滑ってこないかなど、びくびくしながら、それでも収穫期の見返りを楽しみに一生懸命に担いでいました。この体験があまりにも強烈で、中学1年の英語は記憶から消えてしまったのかもしれません。(笑) 尾籠な話で恐縮ですが、「座学」より「からだや心を動かす」ことの方が記憶に残るという一つの例ということでご勘弁ください。 戦中戦後に疎開していた当時については、「こやし運び」の他にも、都会っ子と言っていじめられたこと、サツマイモで嵩を増やした麦ごはんをお弁当のふたで中身を隠すようにして食べたこと、母の着物でリメイクした一張羅のもんぺを毎日履いていたことなどが思い出されます。衣食住のすべてが大変な時代だったんですね。 それでも学校には毎日通っていました。それはあまりにも当たり前すぎて、当時はありがたさを考えたこともありませんでしたが、今回、改めて通学できた幸せを思い起こし、いまさらですが感謝しました。 そしてもう一つ、この時代があったからこそ、私はやみくもに頑張ったり、我慢することではなく、「辛抱する」ことを学んだように思います。B.B.カードを作れたこと、また、それを多くの人に使ってもらえるようになったこと、そして電子書籍が出版できたのも、きっと半世紀にわたる辛抱のお蔭かもしれないと改めて感じております。【難波】
by selm_BB
| 2018-06-25 00:00
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